カンゲキ記

夢のひとときに感謝

ミュージカル『さよならソルシエ』

あのモンマルトルの景色は、ずっと忘れることが
できないと思います。

とってもとっても嬉しい春の訪れとなりました。

最初は「2.5次元」と銘打たれた舞台に
「果たしてどんなんだろう。」とドキドキしていましたが、
改めて、心揺さぶられる作品には何の隔てもないと
感じました。
回を重ねる毎に、芸術に携わる役柄と役者さん自身の
芝居に対する情熱が段々リンクしていくようで、
見ているコチラも胸の高鳴りがどんどんどんどん
強まっていきました。
こんなに熱量の高い舞台を観たのは久しぶりだなぁ〜。
若さが溢れていたよ(笑)
エンターテイメントという言葉がふさわしいステージでした。

台詞など、原作の言葉をほぼ忠実になぞるという制約
(があったのかな?)の中で、脚本演出の西田さんが
この作品に対するご自身の解釈や思いを最も込められたのが、
各楽曲の歌詞だったのではないかなと思いました。
特にジェロームの歌うM9『欲望』
原作の中でのジェロームは権威を笠に着て威張り散らしている
だけの男ですが、彼だって芸術を愛する人間のひとり。
自身の殻に閉じ込めている思いがあるのではないか・・・
激しい慟哭は、富・権力・名誉全てを持つはずの男に渦巻く、
夜明けに対しての嫉妬、焦り。
透明の絵の具を求め彷徨う孤独は、原作の世界では
感じ得なかった彼の人間らしさが垣間見え、愛おしいという
気持ちにさえさせられます。そんな人物像をより不気味に、
一方では鮮やかにする泉見さんの歌声はただただ圧巻。
ジェロームの造形だけに留まらず、この作品自体を重厚に
仕立てる天鵞絨のような存在でした。

良知くん演じるテオを目の当たりにして、
さよならソルシエ」の中に描かれているテオドルスの姿は、
炎の画家フィンセントの実像を映す鏡だったのでは・・・
と、感じるようになりました。
実は初見では自分が抱いていたテオドルス像とかけ離れた
表現が多く、頭の中で整合させるのが大変でした。
(原作読まなきゃよかったなぁ〜と思うくらい・汗)
目深に被ったハットの中の表情を簡単に想起させるほど、
ハッキリとした輪郭で描かれるテオに戸惑いました。
なぜこんなにも激しいんだ。なぜこんなにも豊かなんだ、
なんて苦しい生き方なんだ・・・と。
誰よりも人を愛したくて愛されたくて。

・・・あれ?これって、ジャンが描いた(実像の)フィンと
似てる?

この作品は、炎の画家ゴッホを題材としながらも、
その弟テオドルスを主役に据えているように思えますが、
テオという男の身体を借りて、フィンセント・ファン・ゴッホ
描いているのではないのか・・・
良知くんのテオはそういう解釈をもたらしてくれました。
全く違う性格の兄弟ですが、合わせ鏡のような二人で
あったことを体現していたのだなぁと思えるようになりました。

回は、今までご縁がなかった役者さんを沢山知ることが
出来たのも喜ばしいことのひとつ。

平野くんの歌声にすっかりハマってしまいました。
恐らく、ミュージカルの正統的な歌唱法ではないのかな?と
思いますが、不思議なくらいスーッとピアノに寄り添いながら始まり、
フワーッと歌声が空間を包む、そしていつの間にか目の前に
フィンセントの世界が広がる。
素晴らしいギフトです。
大らかな笑顔、優しい声、心許ない喋り方・・・
平野くんの演じるフィンは、今まさに漫画から飛び出してきたのかと
思うほどのフワリとした透明感。
ジェロームの欲しがる透明は、フィンの心のような柔らかさ
だったのかもしれない。


アンリ、エミール、シニャック
彼らが研鑽しあい絵画の技法を高めていく様は、3人を演じた
俳優さんの表現力に恐ろしく反映されていきました。
若くて美しい3人。公演を重ねる毎に、彼らの瞳に輝きが
増して自信に満ちていく様が清々しくって。若いって素晴らしい!
重くなりがちな題材に明るく爽やかな風を齎してくれました。
(・・・ただ、ロートレックは肢体が不自由で杖が手放せなかった
という記録も残ってるから、「杖いるの?」は
言って欲しくなかったなぁ^^;)

彼らのちょっと兄貴分であるゴーギャン
ゴッホとは切っても切れない関係の人物ですが、原作では
名前しか登場しません。舞台では、コメディリリーフ的な役割も
担いながら、歌唱では↑の3人をガッチリリード。
kimeruさん、不思議な名前だけど(^^;素敵だなぁ。
見れば見るほど中山美穂に似てた(笑)美人さん。

アンサンブルの皆さんの魅力を十二分に感じられるナンバー
『1フランの絵』は本当に楽しくて。(おじさんの絵のほうを
密かに梅宮辰夫と呼んでいたのはナイショです)
今でも、江草さんが奏でる弾けんばかりの楽しい音色と
アンサンブルの賑やかな声が耳をくすぐります。


ほんのちょっとのきっかけ、すれ違い・・・
出会えるか出会えないかは運命次第。
私の場合は、合田さんが出演してくださったことで
出会えたこの作品。ありがたいことです。

テオドルスの口車に乗せられ(^^;無償でシナリオの執筆を
引き受けてしまったジャン・サントロさん。
一年後も同じ服装をしていて・・・
あぁ、未だ経済状況が苦しいのね・・・
「どこまでも高いシナリオ」ってお値段のことでは
なかったのね・・・と、同情してしまったのは冗談ですが
(人生を作り変えるという大罪を犯したテオとジャンの2人は
時間軸が動いても衣装替えがないんですよね)
狂言回しとして時空を彷徨いながら、私たち客席と共に
さまざまな風景を眺める傍観者であり、テオの共犯者。
合田さんの一際目を引くスタイルの良さも、空間を隔てる
効果的な材料となっていました。
テオの次に台詞の多いジャンですが、台詞がなく板の上に
いる時間もひと一倍。(多分、これが一番大変だと思います)
ちょっとした表情の変化や行き届いた指先の動き、筆の速度も
眼前で起こる出来事に合わせて速くなったり、進まなくなったり。
その姿に、今どんなエピソードを書いたのかな?そんなことを
想像しながら、自分もこの事件の共犯者であるという実感が
強まります。
よく通る声と緩急自在な語り口で紡がれるシナリオは、
より「説得力のある虚構」を作り上げているようでした。

ジャン・サントロは最後のナンバー『ひまわり』だけを
歌唱します。きっとそれは、これまで戯曲家として
くすぶっていた彼が、テオと出会い、若い画家たちと交わり、
フィンセントという人物を知ることで自身のギフトも
開花することとなった、その表れでもあるかなぁ〜、と。

プロジェクションマッピングを使った効果的な映像演出など、
面白い要素はたくさんあったと思いますが、
何より、板の上に立つ役者さんと、ピアノ伴奏の
江草さん、18人の情熱が客席を震わせてくれました。
もちろん、演者のモチベーションをそこまで引き上げた
演出家の手腕も大きいと思いますが、何かそれ以上の、
その先へ突き抜けていきそうな底知れぬパワーが
舞台上にはありました。

ミュージカル「さよならソルシエ


純粋にひたすら純粋にお芝居っていいな、音楽っていいな、
役者さんってすごいな。そう思わせてくれる舞台でした。

モンマルトルの彼らに感謝。