カンゲキ記

夢のひとときに感謝

太秦ライムライト〜NHKプレミアム先行放映版〜

チャップリン」と「時代劇」・・・
この2つで思い出されるのは祖父のこと。

私の祖父は戦前「活弁士」として、片田舎の映画館で
弁舌を揮っていたそうだ。得意だったのは西部劇と聞いていたが、
もちろんチャップリンも日本の時代劇も大好きな人だった。
幼い私が知る由もない、嵐寛や阪妻の話もよく聞かされた。
浪曲が得意でそれも聴かされた。大衆演劇の公演にも連れて
行かされた(笑)かと思えば、山高帽に、海外のタバコや葉巻を
燻らせる姿が、外国映画の俳優のようにイケてるじぃさんでもあった。
そんな祖父が亡くなったのは今から20年以上も前のことなので、
まだまだTVでの時代劇放送も盛んに行われている時だったが、
亡き祖父がこの「太秦ライムライト」という映画を観たら、どんな感想を
抱くだろう・・・ちょっと気になってしまった。

太秦ライムライト
2014年6月の劇場公開を前に2014年1月14日、NHKBSプレミアム
にてTV短縮版が先行放映された。
主人公の老いた大部屋俳優と次代へ羽ばたく新人女優。
チャップリンの名作「ライムライト」になぞられて、日本の映像産業の
一片を切り取る。

劇場公開前にTVで放送しちゃうなんて、ナント大胆な・・・
と思ってしまうが、今や、twitterFacebookなどのSNSにて個人が
発言する言葉が何より影響力を持つ時代。
TVを観た視聴者からのクチコミを宣伝に繋げようという試みであろうか。
ならば、私は嬉々としてこの映画の宣伝担当を買って出たいと思う。

2014年、この作品を観ないときっと後悔することになる。

主演の福本清三氏。普段は「斬られ役」として、画面の隅に消えて
いくことが彼の生業。しかし今回、その佇まい・オーラは主役以外の
何者でもなかった。
台詞は少ない。これが主役か?と思う程少ない。それでも、彼の顔に深く
多く刻まれた皺が、背中が、木刀や竹光を持つ手が・・・言葉は発せずとも
全身が語っていた。その朴訥で不器用な主人公・香美山の姿は、
福本氏そのものとリンクする。

ヒロインを演じる山本千尋嬢もこれまたとびきりだ。
武術太極拳の世界チャンピオンということで、その体のキレや
しなやかさには驚くばかり。そこに天性の華やかさや可愛らしさを
備えており、既に唯一無二の存在感。
まだあどけなさの残る表情やちょっとたどたどしい台詞も、
これから羽ばたいていく新人女優というリアリティを添える
よいスパイスになっていた。

「斬られ役が巧くないと、主役のスターは輝かない」

そんな言葉と同じく、この映画は脇役陣の多彩な芝居が、
主役の二人を盛り立てキラキラ輝かせていた。
彼らが演じる人物たちにも様々な事情や生き方があり、そんな中で
太秦という土地や時代劇と関わっている。

かつて「太秦城のお姫様」と呼ばれたスター女優・田村美鶴が
ひっそりと営む小料理屋。店には美鶴がヒロイン役を演じた
「江戸桜風雲録」のポスターの横に、思い出の簪が
大事そうに掲げてある。
そこでいつものようにたむろする大部屋俳優たち。
TVからは40年続いた時代劇を打ち切りに追い遣ったプロデューサー
川島が尤もらしくインタビューに応える姿が流れている。
「川島さん時代劇嫌いなんすかね?」
「こいつチャンバラ下手やったからなぁ」
「当時は年上の女優と同棲してるって噂やったけど・・・」
「結局、女優捨てて、TV局の社長の娘と結婚し、今や局の重役や」
「よう聞く話ですね。大女優が仕出しに入れ込んで子供作ったら、
男は東京で別の女に乗り換える・・・」

そんな男たちの会話を聞き、表情を曇らせる美鶴。
美鶴は何を思ったのか?
そして、太秦の伝統的な手法や古参俳優を否定しながらも
時代劇を作り続ける川島の本心とは?

劇場版で、彼らの心の内がどう紐解かれていくのか・・・
それも楽しみなところ。

大きなスリルや派手な仕掛けはない。
斬られ役という、ひとつの仕事に生きた男と
それを取り巻く人々の姿が坦々と・・・時折エッジの効いた
チャリ場を交えながら描かれる。
人生の中で、天と地がひっくり返るような大きな事件に
見舞われることはそう滅多にあるものではない。
毎日を坦々と生きて、ちょっと笑って、ちょっと泣いて・・・
そんな繰り返しの中で、些細な出来事に感動を見つけ
られるか。己の心の動きに気づけるか。
ドラマを作るのは自分自身だ。

人生最後のドラマを作るべく、香美山は立ち上がる。
ラストシーン・劇中劇での大立ち回りが、鮮やかに開き
潔く散っていく桜のような強さ美しさ・儚さを湛え、
この作品最大の醍醐味となって、見るものを唸らせる。
これはもう時代劇そのものだ。
まさしく「いいシャシン」だ。

「誰かがどこかで見ていてくれる」

老いゆく大部屋俳優の哀愁を描いた作品ではあるものの、
悲壮感やお涙頂戴感は感じなかった。
むしろ、ここから、明るい明日が開けていくような
清清しさが残る。


可能性・・・そんな言葉に身を委ねてみてもいいかな。


時代劇は死なない。